トントンハウス物語 vol.1

トントンは平成17年より金沢市と小松市の間、石川県能美市でパン屋を始めました。

やわらかくてふわふわのパンが得意でハード系はちょっと苦手。

夫婦2人から始めたごく普通のパン屋でした。


それが・・・

なぜ・・・

卵と乳のアレルギー対応パンを作り始め、卵、乳製品を持ち込まない専用のパン工場を作ることになったのか・・・


今から14年前、夢を描いてパン屋に転職しました

金沢工業大学建築学科を卒業後、「ある男」は、とある会社の設計部に配属されました。

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4年間、ただただ仕事をこなし、社会の波に飲み込まれていたとき、 「図面を書く」という、神経を使う、 そして、いすに座りっぱなしの仕事に嫌気が差したのでした。

「自分はどんな仕事がしたいのだろう?」

「このまま生活のために、この仕事を続ける意味は??」

「いったい自分は何をしたいのだろう・・・」

悩み、頭を抱え込んでいた時、隣にいた妻はこう言いました。


「毎日焼きたてパンが食べたい!」


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焼きたてパン・・・

自分でパンを焼いてお客様に食べていただく。

た、たのしそう・・・


じっと座っていられない性格の自分には、天職のように思えました。

その日のうちに買ってきた転職情報誌には、なんと!! パン屋さんの中途採用の募集が・・・

さっそく連絡を取って、面接官に熱い情熱をぶつけ、 関東では有名なパン屋に、中途採用として潜りこむことに成功したのでした。

「ある男」26才の時のことです。


念願のパン屋になったぁ!のですが・・・

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晴れてパン屋になったものの、先輩たちの多くは年下ばかり。
最初の一年はアゴで使われるお手伝いさんのような毎日でした。

そして、時が過ぎ、実力がつき始めると、出る杭は打たれるかのごとく 先輩からの「イジメ」・・・

それでも、出遅れた分を取り戻すように必死で必死で仕事をしました。


家に帰ってもパンの本を読みあさり、パンの勉強、休みの日はパン屋めぐり。

まさにパン漬けの毎日が続きました。

3年経ったある日、勤め先のパン屋で作ったパンを見て思いました。


菓子パンも惣菜パンもフランスパンもおいしい。

でも食パンは・・・


そのパン屋の食パンは口溶けがあまり良くなく、 どううまく作ってもおいしいとは思えないものでした。 (よく売れていましたが・・・)

一番食べるのは食パン、大好きなのも食パン。

おいしい食パンを作りたい、そして食べたい。

ならば自分で研究して作っちゃおう!


食パン大研究のスタートが切って落とされました。

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食パン大研究

美味しいと有名な食パンを見つけてきては食べ歩き、 仕事から帰ってきては食パン作り。

もう「食パンオタク」です。

1才になる息子も巻き込み、一緒に食パンを捏ねて、 家中粉で真っ白にしては怒られていました。

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生活はギリギリだったので、妻は息子を自転車に乗せ、安い強力粉を求め、 いろいろなスーパーに行っては買ってきてくれて、 この「食パンオタク」を支えてくれました。

妻と息子には迷惑な話です。

ほんとごめんなさい。。。


試行錯誤の末、ある程度、自分の理想の 「口溶けの良い、柔らかい食パン」が見えかけてきた時、 ハプニングが起きました。


材料を1つ入れ忘れたのです!!


後から入れるなんて作り方聞いたことないし、 失敗したからといって捨てるわけにもいかない。

「食パンオタク」は悩んだ末、決断を下しました。


えぇーい、入れちゃえっっっ!!!


とてもパン屋の常識では考えられない作り方で、その食パンは焼けました。

恐る恐る一口食べてみると、


えっ う・うまい・・・

口の中でスゥーとパンが溶けてく・・・

半熟卵のようなトロッとした舌触り。

耳はサクサク中身はフワフワ、何で?


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これが当店の食パン「tonton食パン」美味しさの原点です。

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