卵と牛乳抜きのパンを作っていただけませんか?
ご近所のお客様からいただいたご要望。これがtonton物語の始まりでした。やわらかくておいしいパンを作るには卵や乳製品を入れるのがパン屋の常識。
なぜ、卵と乳製品を使わないパンを作ることになったのか?
ご近所のお客様からいただいたご要望。これがtonton物語の始まりでした。やわらかくておいしいパンを作るには卵や乳製品を入れるのがパン屋の常識。
なぜ、卵と乳製品を使わないパンを作ることになったのか?
金沢工業大学建築学科を卒業後、「ある男」は、とある会社の設計部に配属されました。
4年間、ただただ仕事をこなし、社会の波に飲み込まれていたとき、 「図面を書く」という、神経を使う、 そして、いすに座りっぱなしの仕事に嫌気が差したのでした。
「自分はどんな仕事がしたいのだろう?」
「このまま生活のために、この仕事を続ける意味は??」
「いったい自分は何をしたいのだろう・・・」
悩み、頭を抱え込んでいた時、隣にいた妻はこう言いました。
「毎日焼きたてパンが食べたい!」
焼きたてパン・・・
自分でパンを焼いてお客様に食べていただく。
た、たのしそう・・・
じっと座っていられない性格の自分には、天職のように思えました。
その日のうちに買ってきた転職情報誌には、なんと!! パン屋さんの中途採用の募集が・・・
さっそく連絡を取って、面接官に熱い情熱をぶつけ、 関東では有名なパン屋に、中途採用として潜りこむことに成功したのでした。
「ある男」26才の時のことです。
晴れてパン屋になったものの、先輩たちの多くは年下ばかり。
最初の一年はアゴで使われるお手伝いさんのような毎日でした。
そして、時が過ぎ、実力がつき始めると、出る杭は打たれるかのごとく 先輩からの「イジメ」・・・
それでも、出遅れた分を取り戻すように必死で必死で仕事をしました。
家に帰ってもパンの本を読みあさり、パンの勉強、休みの日はパン屋めぐり。
まさにパン漬けの毎日が続きました。
3年経ったある日、勤め先のパン屋で作ったパンを見て思いました。
菓子パンも惣菜パンもフランスパンもおいしい。
でも食パンは・・・
そのパン屋の食パンは口溶けがあまり良くなく、 どううまく作ってもおいしいとは思えないものでした。 (よく売れていましたが・・・)
一番食べるのは食パン、大好きなのも食パン。
おいしい食パンを作りたい、そして食べたい。
ならば自分で研究して作っちゃおう!
食パン大研究のスタートが切って落とされました。
美味しいと有名な食パンを見つけてきては食べ歩き、 仕事から帰ってきては食パン作り。
もう「食パンオタク」です。
1才になる息子も巻き込み、一緒に食パンを捏ねて、 家中粉で真っ白にしては怒られていました。
生活はギリギリだったので、妻は息子を自転車に乗せ、安い強力粉を求め、 いろいろなスーパーに行っては買ってきてくれて、 この「食パンオタク」を支えてくれました。
妻と息子には迷惑な話です。
ほんとごめんなさい。。。
試行錯誤の末、ある程度、自分の理想の 「口溶けの良い、柔らかい食パン」が見えかけてきた時、 ハプニングが起きました。
材料を1つ入れ忘れたのです!!
後から入れるなんて作り方聞いたことないし、 失敗したからといって捨てるわけにもいかない。
「食パンオタク」は悩んだ末、決断を下しました。
えぇーい、入れちゃえっっっ!!!
とてもパン屋の常識では考えられない作り方で、その食パンは焼けました。
恐る恐る一口食べてみると、
えっ う・うまい・・・
口の中でスゥーとパンが溶けてく・・・
半熟卵のようなトロッとした舌触り。
耳はサクサク中身はフワフワ、何で?
これが当店の食パン「tonton食パン」美味しさの原点です。
平成17年10月8日。
息子の7歳の誕生日に、晴れてスーパーの中のインストアベーカリーとしてお店をオープンすることができました。
オープン当初のお店の様子
店長と妻のきよみさんの夫婦2人からのスタート。
親元を離れていたので、小学1年生の息子はお店から学校へ行き来していました。
学校から帰ってくると、サンドイッチ室で宿題。
狭い厨房は、もはや家と化していました。
夫婦2人でスーパーのインストアベーカリーを切り盛りすることは、思っていた以上に大変でした。
休みは元旦だけ、オープンしてから半年は、夜中の12時頃まで仕事。
カマで暖を取って、一晩過ごしたことも。
やることが多すぎて終わらないのです。
息子は家に帰りたくないと駄々をこね、厨房にあるパイプイスでよく寝ていました。
本気で厨房の中に簡易ベッドを作ろうかと検討したほどです。
スペースがなくて諦めましたが…
睡眠不足で学校でよく寝ていたらしく、先生にも呼び出されたり。
「仕事も大切ですが、もう少し息子さんを見てあげられませんか?」って。
ですよね…(^_^;)
そんな中、おいしいパンをお客さまに届けたくて、毎日心を込めて夫婦でパンを作っていました。
一番のおすすめ商品は、もちろん、tonton食パン。
他にも、都会で有名なパン屋で習った菓子パン、惣菜パン、フランスパン、ラスクなど、100種類以上のパンを作りました。
でも・・・
全くお客様に見向きもされず、毎日たくさんのパンが売れ残る日々。
実は、当店が入る前は「お値打ち価格」で有名なパン屋。
食パンやフランスパンは100円、菓子パンや惣菜パンは65円で販売されていたのです。
それがお店が変わって、今までの2倍以上の価格になったんです。
そうそうお客様はお店に足を踏み入れていただけません。
せっかく作った焼きたてパン。
どうにかお客様に召し上がっていただこうと、試食を配りまくったり、チラシを撒いたり。
それでもパンは売れ残り、泣く泣く廃棄していました。
当時はデフレの真っ最中。
スーパーは安売り合戦、目の前の袋売りの菓子パンは98円で販売されていました。
ならばトントンも!と菓子パンを98円で販売することに。
それなりに売れましたが、作っても作っても利益は出ません。
むしろ赤字。
お値打ちのパンを求められるお客様が集まるようになり、お店の雰囲気も荒れる一方。
生産性を求めてしまうので、パンのクオリティもどんどん下がっていきました。
半年間頑張りましたが、ただただ疲れました。
そして、半年を持って、お値打ち価格のパンの販売に終止符を打つ事になったんです。
そんなある日、いつもお越しいただくお客様がパンを手に持ちつつ迷われていたので、当時接客をしていたきよみさんがお客様に「どうされました?」と伺うと、
「このパン、おいしいんやけど、子供が食べるにはちょっと大きいなぁ。この半分の大きさにならん?」
じゃあ、明日半分の大きさで作るんで、お昼ごろにお越しいただけますか?
「来る来る!」
きよみさんにコッペパンの半分のパンを作るようにお願いされた店長は、戸惑いました。
都会でのパン屋で習得したおしゃれなパンを作れば、必ずお客様が振り向いてくれると思っていたからです。
コッペパンを半分にして、丸めただけのパン。
こんなパンで、本当にお客様は喜んでいただけるのか…?
翌日、半信半疑で半分の大きさのパンを作りました。
作ったパンをお客様にお渡しすると、とても喜ばれました。
「私のために、パンを作ってくれたっ!」
その時のお客様の笑顔が忘れられない。
そう、きよみさんから聞いて、店長は思ったんです。
お客様に喜んでいただこうと思って作っていたパンは、実はお店側が食べて欲しいパンを作っていたんだということ。
自分が食べて欲しいパンを作るんじゃなくって、お客様が食べたいパンを作れば喜んでいただけるということ。
ちょっとした違いですが、何だかガツンと頭を殴られたような気持ちでした。
やわらかくてふわふわのパンが得意でハード系はちょっと苦手。夫婦2人から始めた、ごく普通の小さなパン屋でした。それが・・・なぜ・・・卵と乳のアレルギー対応パンを作り始め、卵と乳製品を持ち込まない日本で唯一のアレルギー対応パン工場を作ることになったのか・・・
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